道後温泉のすぐ近くにある道後公園。
春は桜が綺麗な市民の憩いの公園ですが、その一角に湯築城跡があります。
湯築城資料館
湯築城跡は平成14(2002)年9月20日に国の史跡に指定され、 平成18(2006年)4月6日に日本100名城(80番)に選定された立派な城跡です。
名城スタンプは湯築城資料館の中にあり、多くの方が来場されていました。
資料館は入館無料なので、散策の前に訪問するのをオススメします。
館内には発掘された資料の展示や、湯築城の歴史などがわかる映像を見ることができ、
タイミングが合えば、ボランティアの方が色々教えてくれます。
中でも興味深かったのが、猫の足跡がついたお皿。
お皿を作りたてで乾かしている時に、猫がお散歩をしていたんだろうな、と当時の情景が目に浮かびます。
湯築城は御朱印もあって、その御朱印にこのお皿が載っていました。
ボランティアの方は色々レクチャーしてくれて、最後に折り紙の兜をお土産にいただきました。
ちなみに、兜にも貼られている河野氏の家紋は「折敷に三文字」。
源頼朝公が征夷大将軍になった時に、「1番は源氏(自分)、2番は北条氏(源頼朝の奥様)、3番が河野氏と言った」ことが由来だと教えていだたきました。
身内を除いた家臣の中では一番デキルってことじゃん!河野氏すごい!!
時宗の宗祖、踊り念仏で知られる「一遍上人」は河野通信のお孫さんだとか!
知ってる名前がポンポン出てきて、テンションが上がりました。
土塀と武家屋敷
資料館で色々学んだ後は、外に出て散策です。
この武家屋敷がある国の史跡に指定されているエリアは、動物園だったと聞いてビックリ!
日本で初めて人工保育された白熊のピースがいる、とべ動物園の前身だったのです。
動物園がとべに移され、日本庭園にしようと工事を進めていたら、たくさんのお皿や遺構が見つかって、これは貴重だ!と工事関係者や学者は大慌て。
劣化しないように当時の遺構は埋め戻され、その上に立派な建物や堀が復元されています。
礎石の中には、上に建っていた木の形がわかるようなものもあったとか。
武家屋敷の中では連歌を楽しむ様子が再現されています。
風流な遊びが楽しまれていたんですね。
円形石積み遺構
用途不明の穴。
丸いので井戸かな?と思ったのですが、浅すぎる。
じゃあトイレ?と思いましたが、普通なら見つかる寄生虫の卵が一切検出されなかったそう。
どんな使い方をされていたんでしょうか。
土塁展示室
湯築城は土塁が二重に築かれた平山城です。
土塁の断面図が間近に見られるのも、湯築城ならでは。
地層が分かれていて、柱を立てていた跡も確認できました。ロマン!
土塁の外側は石垣と土で防衛ラインを作っています。
左手前溝は排水口で、雨が降っても大丈夫なようにしっかり作っていたんですね。
当時の男性の平均身長は150cmで、それに合わせて堀の高さを決めていたんだとか。
実際立ってみると、結構な高さです。
庭園・上級武士居住区
奥の方は上級武士の居住区と推定されるエリアで、風が気持ちよさそうな東屋が印象的でした。
コンクリートで遺構を表していましたが、すごく広々と使っていたんですね。
割れたお茶碗がたくさん見つかった遺構も、再現されていました。
堀の幅が一番狭くなっているところ。
こんなので守れたのかな?と不思議に思ったのですが、河野氏の時代は鉄砲がなかったので、土塁が二重になっているだけでも強固な城だったんだとか。
訪れたのは土曜の夕方でしたが、犬の散歩やジョギングをしてる方が多くいました。
岩崎神社
遺構を見終わったので、展望台まで登ってみることにしました。
大蛇をお祀りしている岩崎神社の石段を登っていきます。
地元の方が熱心にお参りされていました。
展望台
10分ほどで展望台へ。
ちょうど夕陽の時間。展望台は貸切状態で、太陽を満喫できました。
石造湯釜
道後公園の北口の近くにある石造湯釜。
直径166.7cm、高さ157.6cmの円筒形で、道後温泉本館の初代湯釜として使われていました。
踊念仏の一遍上人が「南無阿弥陀仏」と書いたとされています。
この湯釜は全国で最古のもので、愛媛県指定の有形文化財です。
まとめ
資料館の映像も見て、ボランティアさんとのお話も堪能し、1時間半ほどゆっくり堪能しました。
資料館や土塁展示室は17時に閉まりますが、そのほかは見学自由です。
展望台から見る夜景も綺麗だとか。
歴史的に貴重なものがたくさんあったので、道後温泉に遊びに来た際は、合わせて散策するのもオススメです。
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